ブータン国王の「龍」の教え
龍神様の夢を見て以降偶然見つけた言葉が興味深かったのでここに載せますね。
国王(ブータンの)と王妃は、福島県相馬市立桜丘小学校の子どもたちをお訪ねになりました。
多くの子どもたちが、誰かしら近しい人を亡くしたり、いまだ仮設住宅で暮らしている状態です。
そんな子どもたちに対して、国王はブータンの国旗に描かれた「龍」の話をされたのです。
皆さんは、龍を見たことがありますか?
私(ワンチュク国王)はあります。
王妃もありますね。
龍は何を食べて大きくなるのか知っていますか?
龍は、経験を食べて大きく成長していくのですよ。
私たち一人ひとりの中に「人格」という名の龍が存在しているのです。
その龍は、年を取り、経験を食べるほど、強く、大きく、なっていきます。
人は、経験を糧(かて)にして、強くなることができるのです。
そして何よりも大切なことは、自分の龍を鍛(きた)えて、きちんとコントロールすることです。
この「龍」の話を、私がブータンの子どもたちにする時には、同時に、「自分の龍を大切に養いなさい、鍛錬しなさい」ということを言っています。
わがままを抑えることや、感情をコントロールして生きることが大切なのです。
ワンチュク国王陛下は、26歳の若さで2006年にブータン国王となられました。
王位継承後の数年間は、外遊はなさらず、国民との対話に最も心を尽くされ、
山間部の農村まで自らの足で歩いて回られる若き王様は、
いまや国民から絶大な支持を得ているといいます。
ブータンの国旗には龍が大きく描かれていますが、
内在する龍を「太」らせること
一人ひとりの人間の中には、龍の人格がいて、 龍はその人物の生活経験をエサにして、その人の中で大きく育っていきます。
だから生きる私たちは、自分の中に内在する龍を大きくして、強い龍になるようにコントロールして生きなければならない。」
これは、とても深くて良い真理を仰っています。
まさに、内在神=視える形象では龍、です。しかし、人類がもう一段、霊性が上昇すれば、
内在神=視える形象では鳳凰(ほうおう:飛翔する火の鳥)と成る予定です。
1.内在する龍(内在神)は、その人物の「経験」をエサにして育つ。
私たちは、日々どんなエサを龍に「与えている」のでしょうか?
怨(うら)む気持ちと復讐する行為、悲しみの気持ちばかりをエサにして与えていれば、どんな龍に成るのでしょうか?きっと悪い龍に変身することでしょう。悪い龍は、本来の内在神とは合いませんので、独立して分離します。これが人格障害として表れます。
やはり、愛情の気持ち、思いやりの心と行為、感謝をする気持ち(お餅)を内在する龍に食べさせ続ければ、慈悲深い観世音菩薩へと龍は変身します。どんな人間に内在する龍でも、観音様に変身する可能性があります。
昭和時代の磁場ですと、勢いのある人物を視ますと、背中から首の後ろに張り付いた龍が、その人物の頭上にアゴを乗せてくつろいでいる姿を視たものです。
おそらく古代の人間が作成した王冠とは、王様の頭上に乗った「龍の頭」を表現したのだと思います。だから王冠には、いろんな突起が宝石で表現されるのです。
ただ、本人が自分の良心(内在神)を悲しませるような行為をしていますと、すぐに龍は隠れたものです。
龍が隠れた人物は、社会的にも落ちぶれるのが早かったです。
2.私たちは、内在する龍(内在神)を育てながら、その龍が良い龍に成るようにコントロールしなければならない。
心に預かる内在神を、良くするのも悪くするのも、私たちの気持ち次第なのです。
この場合、内在神と言いましても、龍と表現する形象の次元の内在神ですから、この世の次元に近い内在神での話です。
神と一言で表現しますが、神にも11段階(次元)あります。
すべては連動して繋がりますから、全体で一神であり、多数の神々でもあります。
とにかく、明日は白紙であり、今の自分の気持ちが明日を決める主役だと言うことです。
内在する龍を育てる気持ち、コントロールする気持ち、つまり「自制」と努力が必要であり、受け身ではダメなのです。
自分が良き事をするのも、悪い事をするのも、自分で選択が出来るのです。この自由を本当の自分(魂)が「試しに」来ています。
自由とは、責任と厳しさが伴うのです。
このような話を読める人は、内在する龍に気持ちを向けられる人でもあります。
内在する龍という視点を持つだけで、その人の生き方は変わり、魂が喜ぶ方向に向かいます。
生かして頂いて ありがとう御座位ます 。
伊勢ー白山 道 ブログより参照
いかがでしょうか。
とても深い素敵な言葉だと思いましたのでここに載せてみました。
ちなみに「龍を味方にして生きる」という本の中にブータンは龍の国で龍がいっぱいいて、国旗が龍だとありました。
日本は形が龍でそれも北海道と沖縄が龍の頭の形の双龍だそうですから
通じる物があるのかも知れませんね。