3月の終わり頃色んな情報がどんどんと流れてきていました。
そして夢で漢字が2つ示されました。
祝いと呪いです。
なんだか気になったので調べてみました。
祝いと呪いの成り立ち
呪というと今では悪い意味に使われるのですが
元々は違っていました。
日本の陰陽道の時代には、「呪」という漢字は、
良い効果・
そのものを表していたそうです。
(おまじないも同じお呪いの漢字を使うのだそうです)
呪とは元々「祝」と同様に、祭壇の前で神に祈りを
ささげるという意味で用いられたといいます。
「兄」という字は兄弟ではなく、祭壇にいる頭の大きい人
つまり神主あるいは祭主を意味します。
幸いを祈る場合には、
「祝」を用い、この場合の「ネ」は祭壇などを表している
そうで、
神棚の前に跪いている姿や神に供物を捧げる姿が
「祝」となったのです。
祭壇に跪く姿を「祝」とし、
祭壇に跪かないで口から発せられる祝詞そのものが「呪」
として、
「呪」は敵に打ち勝つための言葉となり、やがて人を傷つける言葉、今のような「呪」となって分離されていったのだ
そうです。
つまり、「祝」と「呪」という漢字は、
いて家族なのです。
そして、どちらの働きになるかを決めるのは、
その言葉を使う人の心のエネルギーの働きなのでは
ないかと。
人の想いのエネルギーで、ことだまは「祝」にも「呪」
にも働く・
言葉は、魔法のアイテムですが、それを使うのは人。
人の心のレベルによって、違う効果をもたらします。
つまりことだまは心の増幅装置なのだと 思います。
(祝いと呪いの成り立ち 教えてgoo)
(呪いの由来と語源-由来メモ)
(「祝」と「呪」のエネルギー言葉が持つエネルギー×
言葉を使う人の心のエネルギー =
ことだまのエネルギー )より参照抜粋
「呪い」と「祝い」の話
(前略)「祝い」というポジティブな言葉と「呪い」という
ネガティブな言葉はまったく真逆と思いきや、実は表裏一体
なのである。生き別れた双子なわけである。祝いは時に呪いになりうるし、呪いは時に祝いになりうるのだ。もっと具体的にいうために「個性」という言葉に置き換えて例えてみよう。
「祝い」=「呪い」が道を左右する
個性の代表格として「性格」がある。例えば思ったことを
つい口に出してしまう石田石像という男がいるとしよう。
中学1年生ごろに友人から
「石田ってさぁ、ちょっと言葉きつくね。
傷つくから、そこんとこ直したほうがいいぜ」と言われる
(友人も結構ずばずばタイプだが)。
そこで石田は自分が比較的、モノをはっきりというタイプだと自覚する。
だいたいは、ここで3種類の行動パターンに分かれる。
①自分が知らぬ間に人を傷つけていないか、とても気になり
始める
②「俺、発言力があるんだ」と解釈をして、物言いに拍車が
かかる。
③「ほ~ん」と聞き流していつもと変わらない生活を送る
①と②の選択をした場合、
つまり「呪われる」「祝われる」という状態になる。
「私は思ったことを口に出している」という自意識が、
ポジティブにもネガティブにも行動によって深まっていく。
①の場合は「消極的になってしまい口数が減る」
「言いたいことがうまく伝えられなくなる」
「アドラーの『嫌われる勇気』を読みふける」などの
行動が「祝い&呪い」を深めていく。
②の場合は「積極的にリーダーに立候補する」
「あまり周りの意見を取り入れられなくなる」
「ヒトラーの『我が闘争』を読みふける」という行動が、
自意識の重みを増していくわけだ。(後略)
(みんなそろそろ「呪い」と「祝い」の話をしよう)より参照
みや
⦅へ~「祝」と「呪」の言葉にこんな意味があったんだ。
つまり言葉はその人の使い方や受け取り方次第で
呪いにも祝いにも
なるそういう事なのかなぁ?
このタイミングでこの言葉の夢を見るのは何の意味が
あるのかな?
調べていたら陰陽師が出て来たけど陰陽師って言ったら
「退魔」と「言霊」だよね・・
これってクラウの能力と一緒だわ。
何か関りがあるのかな?⦆
この話をさよさんにお伝えしたところ
さよさん
「「祝」と「呪」の夢のお話、興味深く読ませて頂きました。
以前から似ている漢字だなぁと思っておりましたが、深い意味があったのですね…
何だか今の私にも必要なお話だなとありがたいです。
どれほど素晴らしい言葉でも、話している人のエネルギーで祝いにも呪いにもなるのなら、
どのような言葉であれ注意深くそして温かな心から発せられなければなりません。
言葉は音の羅列ですが、人が口から放つからこそ大きな力を得られるのですね…
クラウシュが退魔と言霊の能力を有していることにも確かな意味があったのだと納得です」
と言って頂きました。
「退魔」と「言霊」の力を、クラウが持っている事の意味を
色々考えさせられる話でした。