虹と太陽と

幻獣ブログです。龍神様や幻獣との関りを載せています

38.クラウとリュカ 裏話14

  

 

ご先祖様の住んでいた場所について

 

最近何気なくテレビを見ていてふと見た
映像にああご先祖様は吉野川
遊んでいたのかなと閃きました。

吉野川高知県徳島県
奈良県にもあってその当時はどこに
ご先祖様が住んでいたのか
よく分かりませんが
その後の子孫は四国地方に代々
住んでいたそうです。

そしてご先祖様の友人が流刑後に
住んでいた山。
こちらは吉野山の青根が峰かその近く辺りに
住んでいたのかなと映像を見ながら
ふと思いました。
古代から吉野山は霊山として名前が知られ
平安時代には遠く中国でまで
尊崇を集めていたとの話です。

この吉野山のエネルギーはとても強いので
その近くで天皇が祭祀場を設置して
祭祀を行っていたそうです。

 ここから下の色の違う部分は
長くなってしまったので
お寺の話がお好きな方なら読んで見て下さいね
山岳信仰のゆかりの地で開祖とされると同時に
役小角」ゆかりの聖地でもあるそうで、
吉野山金峯山寺修験道の中心地の一つですが、

金峯山寺にお祀りされる御本尊は、
金剛蔵王大権現は今から1300有余年前
(ちょうど奈良時代ですね)、
金峯山山上ヶ岳役行者が一千日の修行に入り、
感得された権現仏だそうで、
権現とは権(仮り)に現われるという意味で、

本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、
弥勒菩薩(未来世)が権化されて、
過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を
誓願して出現されました


また金剛蔵王とは、金剛界胎蔵界を統べるという
意味も表しています。

金剛界=拡散、胎蔵=収束を意味し、
    金剛界=男性(陽)原理、胎蔵=女性(陰)原理
 の意味です。金峯山寺 蔵王権現 (説明文一部抜粋参照)

  統べるというと
  陰陽を統一するという意味でしょうか?

その為なのかこちらのお寺は写真からもパワーが
強いと 感じられます。
観音菩薩様も祀られていましたので
少し嬉しくなりました)

この時代以降修験道がどんどん盛んになって
いったそうです。
ご先祖様の友人も、山小屋まで
修験者に必需品を運んでもらっていたのか、
友人自身が修験者だったのかも知れません。

奈良時代は疫病や災害、飢饉などの多くの問題があり
神仏習合本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が
尊ばれるようになっていったそうで

神仏習合 日本に元々あった神道とインドの伝来の
                  仏教を

     合わせたもの

本地垂迹説 神道の信仰対象と仏教の信仰対象を
                      一つに括ったもの。八百万の神々は
                      実は衆生を救済するために
                      仏や菩薩の化身・
                      権現(ごんげん)として

                      現れたとする考え方    があったそうです。

大仏、寺院がこの時代以降頻繁に建立されるようになった
そうです。
蛇足ですがご先祖様の時代背景に少しだけ載せさせて
頂きました。

 

次に今回の記事を作っているある日の朝
寝ていると急にいづなについてもっと細かく
お伝えしないといけないとふとイメージが
来ましたのでここに書きます。


実はここに載せていませんが奈良時代
稲荷神社が作られている時期でもあり、
天狗(てんぐ、あまきつね)の事も
今後の話に関連があるのですが
その辺りはまたいつか書きますね。

イズナ 飯綱 いづな (飯綱使い) 

日本の伝承。妖術、呪術ともいえる伝承。また一種の憑き物。狐の霊のようなもので、それを使役するものを飯綱使い(遣い)という。
あるいは信州・長野県飯綱山(飯綱神社)の神から法を感得したという術。飯綱の法。くだきつねをつかって術を行うという。 またまつられてる
またはイズナという獣が実際にいると考えることもある。宮城県桃生(ものう)郡十三浜(とさはま)村の石上神社ではイヅナの穴があり出入りしていたという。 また山形県置賜(おきたま)郡中津川村の井綱という姓の術者は袖に狐を入れて仕事したという。 岩手県二戸(にのへ)地方ではイタコが炉のほとりの床下にイズナを飼い、イズナ用の穴があり火箸で炉のふちをたたくと出てきたという。
研究者によっては憑霊的でありシャーマン的ととらえる向きもあるが、使い魔的ともいえそうだ。

イズナ 飯綱 いづな (飯綱使い) 日本の神話・民話:幻想世界 より) 参照

管キツネの解説

管狐とは

日本に伝承として数多く語り継がれている、狐の憑き物の一つ。それが管狐です。

「管狐」という名前の由来は、人間が竹筒を持ちながら言霊を唱えると、狐がその管の中に入り人間の問いに答えてくれるとのことからその名がつきました。
神通力を使い予言をしたり、隣家などから小物をとってきたりなど、その憑いた家を裕福にしたりするなどとして知られています。

ちなみに、憑くのは「個人」ではなく「家」という伝承が多く、オサキ狐などの主人が意図せずとも勝手に行動する妖怪にに対し、管狐は主人の「使役する」という意図のもとに行動することが特徴と考えられています。
しかし、その叶えてくださることも良いことばかりではありません。

狐憑きは「管使い」や「クダ家」、または「飯綱使い」などと言われ、その「管使い」が使役すれば相手を病気にするなどということもできたようです。

そこで、管使いの思い通りに動くのか、と言われればそれもまた違うようで。
管狐は大食らいで、また竹筒の中には雌雄一対で入れなければならないようでした。そして雌雄で入れるとなると繁殖をし、瞬く間に数が増えやがては家が食いつぶされ衰えるとも言われています。
(日本の神様辞典 やおろず より)参照

 

飯綱使い

日本といえば!「忍者」も、飯綱使いであったとの伝承があります。
彼らは、この管狐を使って神通力を得ようとしました。
飯綱使いの出自は、日本古来の山岳信仰を背景にした修験道から生まれています。そのことから「飯綱使い」は忍者の原型であるという可能性も。
忍者が妖術を使うなどのイメージはこの管狐からきているのかもしれません。
(日本の神様辞典 やおろず より)参照

 

簡単にですがご先祖様がシャーマンのような事をしていた
そうですので少しだけ記載しますね。

シャーマン

 シャーマンとは、通常とは異なる状態に意識を変化させ(変性意識状態)、霊的存在や死者、神と交信を図る役割を担った人間のことです。日本語では、巫師(ふし)や祈祷師(きとうし)霊媒師(れいばいし)などがこのシャーマン(shaman)に該当します。(霊能力入門 より)一部抜粋参照

 

 

 次にクラウが話していた
祝詞や歌について少しだけ
調べてみましたので載せますね。
何気なく調べてみたのですが宇宙に
つながる話まであって
楽しんでしまいました。
歌と調和と宇宙とても興味深かったです。

 

歌はエネルギーを解放させてくれます

抑圧された内部のエネルギーを外に開放する方法として、声を出すという事はとても有効です♪

日常生活でよく鼻歌を歌う人とか、好きな歌を歌う人は、心を抑圧するエネルギーを外に出すのが巧い人が多いです。
これは水の流れににているかもしれませんね♪ ため込まない、淀ませない。
ですからたまには大きな声で歌いましょう♪
(大きな声で歌うと古いエネルギーが発散し浄化される より)参照

スピリチュアルな観点より

神は光(色)と音(言葉)と幾何学でこの世界を作ったと
言われていますが、大きな声で歌うのは音と言葉の
部分ですね♪

これまで説明してきたもので、「言葉」とかありますが、よりよい言葉、そしてより良い「音楽」であれば
自分自身の整調も含めてより良い効果が出ると想います♪でもそんな事ばかり言ってると歌も限られてしまうと想うので、好きな歌を想いっきりでまずは良いでしょう♪

(大きな声で歌うと古いエネルギーが発散し浄化される より)
細かい詳細は上記参照して見て下さいね

神が人に“声”を与えたのは宇宙と繋がるためだった。

「神を讃える」聖歌やゴスペルよりも前に、

昔から宗教儀式には、

「祈り= チャンティング」という歌(音)が

用いられてきました。

それは、一体、なぜでしょうか?

 

また、人類の歴史において、

人に希望と勇気を溢れさせ、

多くの癒しと力を与えてきた

「歌」の影響力は誰もが知っているでしょう。

 

古代より音楽は天文学幾何学、数論と並んで、

宇宙の摂理、神が作った世界の調和を知る学問として、研究されていました。

 

胎内に宿った時から

人は「声」や「歌」の振動を感じ、

子守唄や呼びかけを聴いて、

安心感や人の様々な感情を

肌から感じ取っています。

(中略)

実は、『歌う』ということは

① 宇宙の周波数に
チューニング(共鳴)する法

 

② 宇宙と調和し、
心身のバランスを調和する
ヒーリング(癒し)

 

③ 宇宙(自分)の声を聴き、
宇宙の愛と豊かさを受け取る器

 

④ 地球という舞台に
自由に望む世界を創造していく術

であるのです。

(中略)

ですので、本来の魂の声で

歌い始めることで、

身体や意識、

現実までもが大きく変化していくことを

感じていきます。
(歌う事は神と繋がる太古の叡智 より)

一部抜粋参照

詳細は上記ブログを参照して見て下さいね 

 歌 語源

「うた・歌う」の語源は、折口信夫によれば「うった(訴)ふ」であり、
歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としていることもまた確かである。
徳江元正は、「うた」の語源として、
言霊(言葉そのものがもつ霊力)によって相手の魂に対し激しく強い揺さぶりを与えるという意味の「打つ」からきたものとする見解を唱えている。

(歌-wikipedeiaより)一部抜粋参照

 歌の発生と宗教的祝詞
 

(前略)

その主宰者は祭儀において、なんらかの「託宣」を憑人状態で唱えた。その宗教的な「託宣」はやがて、神託者として支配と結びつき、制度と結びつくことで宗教的な威力を失い、実効的支配者にとってかわられることになった。その際、「託宣」は支配のための神託として成分かされ、支配にりようされて、王の儀式や祭事に使われるようになっていったと考えられる。こうして宗教的な神と村民との媒介者は、支配と結びつくことで主宰者は祭司の職制として実態的宗教からは切り離され、政権と結びついた神託者と人の媒介役として転化していくことになった。ここに儀式あるいは祭儀としての祝詞」が誕生し、「歌」の起源となっていくことになる。

(歌の発生と宗教的祝詞より)一部抜粋参照

 

ここからは陰陽と数字の2ついてを少しだけ載せてみました。

 陰陽 概要

原初は混沌カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ、すなわち陽の気が上昇してとなり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降してとなった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。受動的な性質、能動的な性質に分類する。具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。中国の戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。(陰陽-wikipedeiaより)一部抜粋参照

 数字の2と対の概念

数字の2は、物事は相反する2つの要素からなるという「二元論」の元になる数字です。

陰陽五行説においては、全ては陰と陽からなり、それらは対立すると共に陰があるから陽があり、陽があるから陰があるという共存する関係でもあります。

「陰極まり陽となり、陽極まり陰となる」といわれるように単なる対立ではなく、それらが合わさることでひとつのものとなる、つまり統合や、調和を意味するのです。

その概念は「天と地」「男と女」「善と悪」「夜と昼」など、全ての要素においてあてはまるでしょう。反対に、二つのものが対立して拮抗する、別れるという意味もあり、日本では縁起が悪い数字とされることもあります。例えばご祝儀の金額は2万円など偶数を避け、奇数の数字の金額にするのが常識とされています。中国では対になる、調和がとれているということから、縁起のよい数字とされています。また、数秘術においても、2は平和や調和というキーワードで語られます。(エンジェルナンバー2 数字の意味から恋愛まで、天使が伝えたいこと。より)一部抜粋参照